創立前史 第3章 青空の下の入学式 その2
福島県立蚕業試験場 講習部を受け継ぐ「女子部」
昭和17年(1942年)3月7日付 福島民報記事
田村農蚕に女子部併置も間近か
磐越東線中央である同町への中等学校設立要望は、地方民多年の声であっただけに、その実現は非常に喜びをもって迎えられている。なお、女子部併設も案外早く実現するものと予想されている。
大正10年(1921年)の中学校誘致のさなか、小野新町に誕生した福島県立蚕業試験場小野新町支場(当初の名称は、福島県営原蚕種製造所小野新町支所)。そこに、女子30名ほどの「学びの場」、講習部をつくる話が持ち上がり、すでに三春町に存在した「田村郡営蚕業講習所」の機能を実質的にここに移し、田村郡からの補助もつける事で、「福島県立蚕業試験場小野新町支場講習部」が誕生した。結果的にこの講習部が旧制中学校の「替り」となった事は、第1章で述べた。
それから20年の月日が流れ、その蚕業試験場講習部も時代の流れとともに終焉を迎える事となった。経済封鎖による国際情勢の悪化、それによる国交断絶で、かつての花形蚕業の生糸の輸出が途絶えその販路が断たれるに至り、講習部も廃止となったのである。
だが、前述したようにまさに「その場所」に、福島県田村農蚕学校は誕生する事となった。大正10年(1921年)に、わずかに灯った中等学校の灯りは、まさにこの場所で21年間小さな輝きを放ち続け、今その灯りが消えると同時に新たな炎の中から不死鳥が飛び立つように、大きく確かな光を放ち始めたのである。
残念ながら、田村農蚕学校創立とともに講習部を引き継ぐことはできなかったが、翌、昭和18年2月8日、1年遅れで「女子部」設立の認可がおり、大正11年(1922年)から伝統を引き継ぐ事ができた。講習部の校舎もそのまま引き継ぎ、そこは「女子部」の校舎となった。
県内で二番目(?)の男女共学中等学校
農蚕科女子部 終業年限2年 1学年各100名 計200名
入学資格 男子と同じ(国民学校高等科卒業程度)
創立50年史の中で、故松崎龍堂先生が「本県における男女共学第1号」と書いておられるが、残念ながら本校が第1号ではない。明らかな資料があるところで、福島蚕業学校(現在の福島明成高校)が、昭和7年に女子部を開設している。もちろん小野新町実業学校でも、女子部は併設しているが、甲種実業学校という事になると、現在の資料では「県内で2番目の男女共学校」となる。蚕業の担い手は女性の事が多く、女子部をつくりやすい環境であったのかと思う。
ただ、旧制中学校は男子校であり、高等女学校が様々な地域で設立されてきたことから、当時のほとんどの中等学校は男女共学ではなかった。県内で二校しかない男女共学校となれば、戦時中の世相ともあいまって、他校の羨望の的であった事は想像に難くない。
また、戦時中から男女共学校であった事は、それは取りも直さず大正10年(1921年)の中学校誘致運動と翌、大正11年(1922年)蚕業講習部設置からなる、女子中等実業教育の大きな流れに行き着く。その意味では、中学校誘致に情熱を燃やした人々の想いの結晶が、当時希な男女共学校となったのであり、これもまた本校の誇りとして語り継ぐべきものだと思う。
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