小野高漢詩校歌

創立前史  第1章 もう一つの創立記念日 その2

▲小野高校創立時の校門・校舎。この場所に創立20年前の、熱き物語があった。

大正10年までの旧制中等学校(現在の高等学校)の状況

 1879年(明治12年)県令・山吉盛典は、福島・若松・三春・平に県立の中学校を開設したが、県議会の反対により11ヶ月で廃校となった。

 1884年(明治17年)、福島・若松・平に県立中学校が再び開校される。

 1886年(明治19年)、政府の1県1中学校の中学校令の発布により福島中学校(現福島県立安積高等学校)を残して廃校した。

 1872年(明治5年)に学制が発布された当時、中学校を設置するべき区画として明治政府は「中学区」を設定し、多少なりともそれぞれの地区にて「中学校」という名称で学校を設立したと思われるが、その頃設立された中学校のほとんどを、旧制中学の流れをくむ現在の高等学校は「前身」としていない。よって福島県における旧制中学校(現在の高等学校)第1号は、安積中学(明治17年・1884年・現在の安積高等学校)とされているのは、上記の様ないきさつのためである。明治18年(1885年)当時の県会が県庁を福島町から安積郡に移す決議をした事を受けて、あわてた福島が県に1校だけと規程されていた旧制中学を安積郡大槻村(現在の郡山市)に移すことで、県庁所在地としての地位を守ったことは福島県民にとっては有名な逸話だ。(※実際には県庁から一番遠い、当時福島県であった東蒲原郡を新潟県に編入する事で福島に県庁をそのまま据え置く事を国が決定し、その翌年1県1校になった中学校を安積郡に移す事を県会にて決定している。)

 せっかく安積郡が県庁と引換にもらった1校だけの旧制中学校であったが、その後の国の方針により旧制中学校が増設され、まず明治時代に会津・磐城・福島・相馬が、そして大正7年(1918年)に喜多方が県立の旧制中学校として開校した。

 私立の旧制中学として第1号は明治23年(1890年)創立の私立会津中学であったが、明治34年(1901年)には県立となったため、私立中学としては、明治25年(1892年)より私塾として開校していた石川義塾が、明治40年(1907年)石川中学校(現在の学法石川)として認可されていた。

 さらに、大正8年(1919年)、当時の宮田・福島県知事は「県立学校増設に関する件」を議会に提案し、県南中学(白河)、安達中学、相馬農業、河沼郡立農業、組合立川俣染織、福島市立商業の5校を県立に移管する事、将来的に、中学校4校、高等女学校3校、乙種程度農学校2校の増設を企画している事などを提示し、県会で満場一致の賛成で可決された。

 ただ、県立にする場合の条件として「その関係郡市町村に於て、県の命ずるところに随ひ其の設備を完成し、県に寄附するに於ては、県は其の財政の許す範囲内に於て受納し県立学校となすものとす」という但し書きがついていた。

(つづく)

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