小野高漢詩校歌

創立前史  第2章 忘れ得ぬ夢の続き

2022年創立80周年★小野高校史100年

 

 

忘れ得ぬ夢の続き

 

旧制小野新町中学校建設計画と小野新町実業学校の創設

二瓶 晃一 第37期 (昭和54年度卒)

その後の田村中学

  小野新町方部と三春町の争奪戦の結果、大正12年(1923年)4月15日、福島県立田村中学校が郡内唯一の男子中等教育機関として創立開校した。中学校の誕生を、一日千秋の思いで待ち望んでいた向学心に燃える若者は多かったと思われるが、

大正12年(1923年)、小野新町1名、飯豊村2名、夏井村0、3名の志願者に入学者は0。

大正13年(1924年)、小野新町2名、飯豊村1名、夏井村0、やはり3名の志願者に入学者は僅かに飯豊村から1名という状況で、中学校の誘致が不可能だったことが、純心な青少年の教育に、いろいろな面で当地方にとっては、計り知れない痛手を被ったのかもしれない。

 時代は少し下るが、小野新町尋常小学校を昭和4年度に卒業した、大和田一郎さんの回想によると、

 

 「(小学校を卒業し)進学する者は、クラス70名中わずか3、4名くらいで、田村中学校からは、校長先生を始め多数の先生方が草鞋(わらじ)がけで生徒募集のために来校し、父兄生徒に進学を勧めていて、私も口説かれてしょうがなく中学校へ進学した。現在の受験戦争からすれば、想像も出来ないぜいたくな事であった。(昭和48年小野新町小学校100年史)」

 

 というような状況だったと言う。昭和恐慌の時代という事を割り引いても、創立なった田村中学校も、生徒を集めるためには苦労していたようである。

充実していく女子教育

 大正11年(1922年)10月1日に始まった、蚕業試験場小野新町支場・講習部では、前述したように30名の女子に対する「実業」「中等」教育が始まったわけだが、それに刺激されるように大正14年(1925年)には、開通して10年となった磐越東線の小野新町駅のある小野新町大字谷津作字平舘に「私立小野新町裁縫女学校」が設立された。創始者は横山巳之七 氏、あき夫人であった。

横山巳之七 氏

横山あき 夫人


 端正な顔立ちで英語が堪能であった横山 氏が創業した女学校は、やがて昭和8年からは「小野新町実科裁縫女学校」、戦後は「横山和洋女子専門学院」、昭和51年からは「横山和洋女子専門学校」という名前で和裁・洋裁を女性に教える場として、私立ながら多くの生徒を集め、服飾界をはじめとして多くの人材を輩出した。田村農蚕学校や後の小野高校を卒業した生徒も花嫁修業のために横山専門学校に数多く入学し学んだ。大正14年(1925年)から平成11年(1999年)まで、約80年の長きにわたり続いていく事となる。

小野新町裁縫女学校の門柱が建立される様子

 ※写真は小野新町字仲町の渡辺様(柏屋)の土蔵解体の時にお譲りいただきました。

 充実していく女子教育、だがそれを見るにつけても、やはり地域の人々には「男子中等教育」への熱い想いがあった。

 やがて大正15年12月、大正天皇の崩御により年号が変わり、短い昭和元年が明けて、翌昭和2年の1月。一つの議案が小野新町町会に提案された。議題は「町立中学校設立計画の件」であった。「小野新町方部に中学校を!」まだ多くの人々の胸にこの想いがくすぶり続けていた。忘れ得ぬ「夢」には、まだ続きがあったのだ。

小野新町中学校建設計画

 昭和2年1月の町会の協議会に、当時の議員定数16名の内12名出席が出席し、「町立中学校設立計画の件」で熱心な討議の結果、次の事が決定された。

  • 敷地は町有地またはこれに相当する敵地、約1万坪を選定する。
  • 校舎建築工事費は、総額約8万円として、5ヶ年で完成させる。
  • 第1年度校舎建築費約4万円とし、資金は一時借入金及寄附金でまかなう。
  • 中学校設立に関する借入金は、5ヶ年度ないに5万円を限度とし、その償還は旧債償還完了迄は借入金利子のみを支払い、旧債償還後は、これを15ヶ年賦の町債に引直し、町民の負担は、従来の賦課額(大正15年度町税戸数割附加税)より増えないようにする。
  • 設立計画内容および設立後の毎年度予算は別紙の通りとする。
  • 事業計画は、昭和2年度予算にこれを計上する。

計画予算(運営費)

 別紙、予算書は昭和2年当時の県内の県立中学校11校と私立1校の予算を参考にしながら計画が練られている。

 ■第1年度収入予算

  • 授業料   9,000円  生徒150名、1人1ヶ月5円
  • 県補助   1,000円
  • 入学料    300円  生徒150名、生徒1人2円
  • 町負担   1,194円
  • 合 計    11,494円

当時の旧制中学校では、入学金2円、月授業料が5円で一人1年間に60円ほどの授業料がかかったようである。

■第1年度支出予算

  • 俸 給  9,520円  校長1、教諭4、書記1
  • 雑 給   618円  雇教師100日、給仕1、小使1、雇人夫、校医手当等
  • 需用費  1,356円
  • 合 計   11,494円

 そして計画予算では、5年制の中学を想定して第5学年完成後の収入予算も記載している。

 

■第5学年完成後の収入予算

  • 授業料  42,000円  生徒700名、1人1ヶ月5円
  • 県補助    5,000円  
  • 入学料     300円  生徒150名、生徒1人2円
  • 町負担       0円  
  • 合 計  47,300円

 5年後には、町負担が0となるという予算であった。県補助・1年目1,000円、5年目5,000円の根拠がどのようなものであったのか、資料がないので確かではないが、1学年1,000円としての計算の様だ。

計画予算(建築)

 建築計画に対する予算もみてみよう。

■ 第1年度 建築計画

  • 建築費  36,700円  普通教室10、生徒控場1.雨天体育場1、図書室1、
  •             機械器具1、標本室1、その他
  • 設備費    3,100円  電灯、備品他
  • 敷地料    5,500円   
  • 合 計   45,300円  

■第5学年完成までの建築計画

  • 建築費   62,700円  普通教室15、生徒控場1、講堂1、図書室1、
  •              機械標本室2、その他
  • 設備費   8,450円  電灯、備品他
  • 土地買収費 2,000円  
  • 合 計    78,650円

 大正10年、三春町と誘致を争った時の20万円を超えるような予算と比べて、実際の既存の中学校の状況を参考にした、より現実的な予算と思われ、実現にむけた「本気度」が伺われる。

 歴史に「たら、れば」はないが、もし実現していれば、1学年3学級計15学級の堂々たる町立の中学校となる計画であった。(当時最大は安積中学の20学級、田村中学は8学級)

 この提案は、昭和2年3月の町会に出されたらしいが、具体的には何も決定するにはいたらなかった。県の補助金を予算に盛り込んでいたため、その算段がつかなかったためか、それとも町の予算に理解が得られなかったためか、いずれにしてもその時の町会で決定された「昭和2年度小野新町歳入出予算」には、町立中学校設立に関する事は何も計上されてはおらず、中学校設立はまたもや幻に終わってしまった。

(つづく)

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