創立前史 第1章 もう一つの創立記念日 その3
田村郡中学校教育機関設置期成同盟会
これを受けて田村郡会(当時のエリアは、現在の田村郡小野町・三春町、田村市、郡山市のおおよそ阿武隈川以東の地域)では、大正10年(1921年)9月、「田村郡中学校教育機関設置期成同盟会」が結成された。そのメンバーは次の通りであった。
- 総理 西牧三郎 (田村郡 郡長)
- 会長 遠藤辰雄 (田村郡会議長・七郷村椚山出身)
- 幹事 湊 季松 (三春町長)、秋田東次郎・大高浩太郎(郡役所書記)
- 実行調査員 後藤隆作・竹内友衛・助川啓四郎、木幡文太郎、湊季松、秋田東次郎、門馬貞蔵
- 評議員 郡内各町村長
しかし、この期成同盟は幹事に三春町長が就任している事でもわかる通り、1郡に1校という旧制中学の設置場所を「三春町」に、という規定路線であったため、すでに安積郡大槻村に安積中学が存在することから、距離的にも近い三春町よりも多くの学生が通学可能な小野新町への設置場所変更を希望する、小野新町を中心とする有志による「小野新町」に旧制中学を設置する運動へと発展していくのである。
総会決議前に県へ陳情
大正10年(1921年)9月15日には、まだ同盟会総会の決議を経ない前に、三春町長を含む同盟会の役員がすでに県への陳情に向かっている。福島民報の記事をもとに時系列で動きを追ってみる。
福島民報記事 大正10年(1921年)9月16日付
田村中学具体化 郡の首脳出県 知事に陳情
認可と共に本年度中着工予算額26万円
田村郡では宮田知事の理想的計画たる、いわゆる学校網の実現に順応して、さきに中等学校設置期成同盟会を組織し、種々調査研究する処ありたるが、過般、隣接郡安達に於て、中学校建設を決議したる事実に刺激せられ、田村郡に於いても此際万難を排して中学校建設を実現せざるべからずとなし、右同盟会役員会を開きたる結果、疾風迅雷的に決定したる遠藤田村郡会議長・西牧郡長・湊三春町長・同盟会調査員諸氏は、後藤県会議員と共に、昨15日出県し、田村中学の建設に関し本県知事に面閲し、種々懇談する処ありたるに、来る18日、田村郡役所に於て同盟会総会を開き、総会の決議を経て、更に臨時郡会を招集し満場一致を以て決定する筈にて、右決定の上は直に工事に着手すべく、予算案は大体において安達の予算を踏襲し、学制は5学年制として、総予算額は26万円にして、中15万円は三春町において寄附し、7万円は郡の負担とし、4万円は各町村の寄附に仰ぐこととし…県の認可を得たる上は、本年中直に工事に着手し、大正11年度一ぱいに完成の見込にて、大正12年度より開校の運びに至らしめたき予定なりと。
現代の我々から見ると、郡からの支出や郡内各町村からの寄附を前提にしているのに、総会の決議の前に県に陳情するというのは、「勇み足」かと思うが、まさに「疾風迅雷的」に進めたこの行動は、小野新町方部の反発を買い、「満場一致」の予定は崩れることとなる。
大正10年の県立中学校の状況
福島民報記事 大正10年(1921年)9月18日付
8校の県立新編成 着々具体化せる5校
宮田長官の学校網に対して、各地方競ふて中等学校新設の運動を起し来れるが、其内明年の予算に編成せられ、県会に向って其予算を提せるは、岩瀬・福島・伊達・川俣・信夫・東白川・師範・西白河の8校にあらざるが、其内 川俣染織学校の如きは、既に知事の裁決を受け…
白河女学校も可能性を帯び来れり。而して中学校にして可能性を帯び来れるは田村中学校にして、同郡の力をもってすれば一奮発すれば、これこそ明年中に取りまとめ、明後年の予算に上程し得可く観測せるも、何れにもせよ、本県の中等学校は明年度においてすみやかに増加を来す次第なり。
三春中学校期成同盟会
郡内で小野新町方部の反発が予想される事となった三春町は、「三春町」の設置を既成事実とするために迅速に動いた。まず、県への寄附をする事を前提に「三春町立田村中学校」を設置・建設する事を「三春町会」で決議したのである。その内容は、次の通りである。
三春町会 大正10年(1921年)9月21日 議案第1号
「町立田村中学校設置の件」
- 大正11年・12年の継続事業として之を建設
- 竣工の後、県に寄附
- 財源は、概算 26万円(町支出15万円、郡補助7万円、各町村寄附計4万円)
そして、翌日の大正11年(1921年)9月22日には、湊李松・三春町長より宮田光雄・福島県知事に、次の申請書を提出した。
中学校設置之義に付申請書
大正8年本県通常県議会に於て、御諮問相成候本県教育、是に準拠し当町に於て、10学級組織中学校を設備し寄附至り致度候条、設備条項御支持相成度、別紙町会決議写相添へ此段及申請候也
「三春町」vs「小野新町」
福島民報記事 大正10年(1921年)9月25日付
三春町より動かず 田村中学の位置
田村郡に設置さるべき中学校の位置問題に関して、小野新町方部が激烈なる運動を開始せんとするに到れり。即ち当初本県においては三春町に中学校を設置なさんとするや、新町方面における、一、二村の有力者は、如何にもして郡の中央なる小野新町に設置せしめんとて協議会席上において、大に反対したりといふ。然れども大勢上よりみて、三春町に決すべきは明らかにして、事の此処に到りし事情は、某派の暗中策動ありて、強ひて事を破壊せしめんとする一部の敵本政策なるにといふ。 計りなく今本県の是に対する方針に就て、戸塚学務課長は曰く、田村中学設立協議会席上において、位置問題に対して争ひたるは事情なるが如し、然れども本県としての採るべきものは、単に一部の有志によりて大勢を動かすことを許さず。大体においては、三春町に決定すべきは明らかなるが如し云々。
現在のように、選挙によって選ばれる知事ではなく官選知事であった時代、なかなか「民」の声は届きづらい。小野新町方部の活動を「暗中策動」「強ひて事を破壊せしめん」「一部の敵本政策」と批判するなど、記事には悪意が表れている。だが、小野新町方部にも、単に「我田引水」ではなく、中等教育にかける地域の熱い想いがあったのだ。
既成事実によってすでに流れが定まっていた「田村中学校」であったが、しかし、小野新町方部の人々はそれでもなお、その壁に挑んだのだった。
(つづく)
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