創立前史 第3章 青空の下の入学式 その4
青空の下の入学式
1・2年生あわせて195名もの生徒が揃う入学式。生まれたばかりの中等学校には、まだこれだけの生徒を収容できる校庭も、講堂もなかった。この日入学式の会場となったのは、福島県立蚕業試験場小野新町支場の玄関前の通路であった。
▲福島県立蚕業試験場小野新町支場 玄関前の通路(現在の同窓会館脇通路)
学校の純然たる所有の建物は、一棟の2階建て6教室の校舎だけ。まだ、何もないこの学校には、只、ここに至るまで21年間の、多く人々の熱い想いが詰まっていた。この時、入学した195名の生徒達に、その想いは伝わっていたのだろうか? 75年の歳月を経た今では、それを知る術はないが、おそらくは、この時の生徒達それぞれが、その重みを感じながらこの学び舎を後にして社会へと旅立っていったのではないだろうか。
昭和17年(1942年)4月11日
青空の下の入学式が、今、始まった。
場所は、今から20年前の大正11年10月1日
僅かに手にした
「旧制中学校」の「灯(ともしび)」
元「蚕業講習部」校舎の隣であった。
▲左側の建物が、元蚕業試験場講習部の建物。しばらくの間、女子部校舎として使用
この時、小野新町実業学校から編入試験を受けて入学した第1期生の中から、やがて岩手の農学校(現在の岩手大学)に進み、岩手大学の教授(最終的には名誉教授)となった卒業生が現れるなど、この学び舎から巣立っていった若者達が、社会での重要な役割を担っていった事は、創立前史21年間の「夢を追い続けた」地域の人々の努力が、無駄ではなかった事を証明している。
やがて戦後となり、学校は県に移管されて組合立から福島県立となった。その後の学制改革によって旧制中等学校の時代は終わる。福島県立田村農蚕学校も新制・福島県立田村農業高校となった。第9期、第10期の卒業生からは東北大学に進む者も現れ、それぞれ東京大学教授、郡山女子大教授となり活躍。また、社会に出て事業家、実務家として成功し、故郷に多大なる寄付をおこなう高徳の卒業生もでるなど、地域のとって欠くことのできない存在となっていった。
地域に県立高校が存在する事は、あたりまえの事ではない
その事を胸に刻みながら、来たるべき創立80周年を迎えたい。そしてそれは「もう一つの創立記念日」から「小野高校史100年」の節目の年でもある。
(創立前史 終り)
福島県立小野高等学校に関わるすべての人々と
地域の方々に
この創立前史を捧ぐ
平成29年(2017年)7月
第37期 昭和54年度卒業生 二瓶 晃一
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